ダメだという写真の典型が「花の接写」である。過去に管理人も投稿したんじゃないの?…と突っ込まれかねない写真もある。「風景」の定義を巡つて言い争いになりかねない。「心に残る…」という趣旨が忘れられそうで、本末転倒のようだ。
それはさておき、確かに万人が得する「風景」を定義しようとすると難しいのかもしれない。風景に類似した、景色、景観、光景、情景といったコトバがあり、意味が微妙に違う。文筆家ではないので間違っても恥じることはないが、気になったので辞書で調べてみた。
情景の意味
最初に何となく抽象的で汎用的な感じがする「情景」を調べると、
「情景」には「心にある感情を生じさせる風景や場面」という意味があり、「心を通じて感じ取る景色、心に何かを感じさせる風景や場面」を表す語となっています。
という説明があった。心象風景と同義のニュアンスがあり、風景、景色、光景、景観を包括するコトバだとして、他の四つのコトバの違いを調べる。
風景の意味
「目に映る広い範囲の眺め。ある場面の情景。ありさま」
例としては、
「山岳風景」
「のどかな田園の風景」
「仲睦まじい親子の風景」
などがある。
景色の意味
「観賞の対象としての自然界の眺め」例としては、
「一面の雪景色」
「電車から見える景色」
「日本アルプスの雄大な景色」
などがある。
風景と景色の違い
双方には微妙な違いがある。風景は、目に映る眺めという意味であり、どんな場面や情景であっても風景に間違いはない。
景色の場合は、鑑賞の対象として、というニュアンスが濃く、主に自然界に対して使うことが多くなる。
そもそも「景」という文字には、
「光」という意味合いがあるので、
風景は風と光が目の前に広がるという意味の言葉であり、
景色は色と光と影のバランスというような意味合いが強くなる。
また、風景が視覚的な意味合いなのに比べ、
景色はやや精神的な意味合いも含まれてくる。
光景や景観
光景(こうけい)は
「目の前に広がる景色。眺め。ある場面の具体的なありさま」を表している。
「信じられない光景」
「惨憺たる光景」
などといった使い方もするので自然の情景以外にも用いることが多くなる。
景観(けいかん)は
景観という言葉は、日常生活においての情景という意味で用いられる言葉だが、そもそもの成り立ちは植物学者がドイツ語のLandschaft(ラントシャフト)の訳語として当てたのが始まりで、後に地理学において用いられるようになった。
山や川などの自然景観と、都市の街並みや田んぼ、屋敷、漁港など、人間の手が加わった情景である文化景観に分けられている。
まとめ
一見同じ意味の言葉に思えるが、風景があらゆる情景に当てはまるのに対し、景色は観賞の対象としての自然界の眺めというニュアンスがある。
光景や景観にも使われ方や成り立ちに違いがある。
言葉 | 性質 | 使われ方 |
---|---|---|
風景 | 視覚的 | 広い範囲のありのままの眺め |
景色 | 精神的 | 鑑賞の対象となることが多い。主に自然に対して使う。 |
光景 | 汎用的 | 日常で使う。自然以外のものに対しても使う |
景観 | 人工的 | 地理学や建築で使う。自然景観と文化景観の2つに分かれる |
「心に残る風景」グループ規約
ここまで風景、景色、光景、景観の違いを調べた。風景が「目に映る眺め」ならなんでも良いとするなら、花の接写写真だっていい。その花の写真がなぜ心に残ったのか?それが大切である。
ポイントは、風景にあるのではなく「心に残る…」にある。被写体に制約をつけるのではなく、何が何故どんなふうに心に残ったのかの説明があればよいということだ。