高価格でも売れるということは、それだけ「邪馬台国」に関心のある人が多いということか?
1ヶ月ほど前、facebook友だちの投稿で宮﨑 康平(1917-1980)という人を知った。あの有名な「まぼろしの邪馬台国」の著者である。50年前、「邪馬台国論争」の火付け役となった本で、もちろん私も読んだが、内容は忘れた。
この本のレビュー、書評を読んだ。読んだ人の意見の方がおもしろいかも。書評を読んだ私の感想である。
典型的な文献解釈論。九州説と畿内説というが、前者は九州のどこか不明(複数説)、後者は纒向遺跡中心。文献を論拠に自説を展開すると九州説。考古学的発見を論拠にすると纒向遺跡周辺(ヤマト王権)となる。
口コミ・書評では「論理矛盾あり、残念だが最終結論にならない」という意見かな?
①邪馬台国の名前は検討したが、台与は検討もせずに壱与としている。
②春秋年を考慮したがそのまま適用。神武の在位期間が紀元前70年から紀元前33年となり、その時代に奈良県に大和朝廷を開いたことになる。
③纏向遺跡、唐古鍵遺跡を研究しないで、考古学的発見に言及するのを避けている。
似たような題名の「邪馬台国、その結論」という本(寺沢薫著)では、奈良県の弥生の村々の消長に関する研究が紹介されている。こちらの方が興味深い。