最初の一編が「2つの技術史展示館を訪ねて」と題するエッセイで、この半世紀の日本の産業史の一端を生き生きと描き出している。氏が訪問したのは「富士通沼津工場」と「NTT技術資料館(武蔵野)」である。
富士通OBでありながら、社史には疎かったと気づく。古河市兵衛のことをほとんど知らなかった。FUJITSUのFUは古河市兵衛のイニシャルで、JIは提携ドイツ企業ジーメンスのJI、それが"富士"の由来だという。私は単純に富士山の富士だと思っていた(苦笑) 沼津工場の富士通アーカイブスや池田記念室も見学した記憶がない。コロナ騒ぎが終われば訪ねてみたい。
氏のエッセイを読んで「富士通OB」であることを誇りに思えるくだりがある。「かつて国家間で熾烈なメインフレーム開発競争があった…(中略)…その重要なプレイヤーがコンピュータ・メーカとしての富士通であり、その戦略工場が沼津工場だった。」と氏は書き、一企業の利益のためではなく、国の利益のために国家戦略を推進した、それは明治の渋沢栄一が目指した産業育成の精神に通じるという。自分もささやかながらその戦略の一端に関わったのだと懐かしく思い出す。そんな思いを抱くのは私だけではないだろう。あの頃は官民一体となり、全社挙げて取り組んだものだ。
そして、氏は明治以後驚異的な発展を遂げた産業史の源流にいる、あまりにも偉大な渋沢栄一に着目する。津本陽の「小説 渋沢栄一」を読んで感銘を受け、「絶句、青淵、あまりにも偉大な…」というシリーズで続編を含めて23篇のエッセイを掲載している。津本陽の小説を読まなくても、渋沢栄一が生涯をかけて成し遂げた業績の全体像が見えてくるエッセイ集である。おりしもNHK大河ドラマ「青天を衝く」が放送中である。氏はNHKが取り上げる7年も前に渋沢栄一に着目していたのである。
激動の時代を国の利益のために生きた渋沢栄一という人物とその驚異的な業績を、躍動感溢れる筆致で描いており、大変読みやすく物語の世界に引き込まれていくような感覚を覚えた。夕食後に読み始め、深夜まで読みふけった。NHK大河ドラマを一年分見終わった気がする。
渋沢栄一の生涯を追ったエッセイが全体の半分以上を占めているが、それ以外の独自の視点でつづった興味深いエッセイがある。たとえば徳川昭武と渋沢栄一のパリ万国博派遣と欧州視察、久米邦武が記録した岩倉使節団、あるいは松代の象山神社を訪ねて知った電信実験と省諐碑、さらには島崎藤村「夜明け前」に見る幕末~明治の産業史というユニークな視点のエッセイがあり勉強になった。
岩倉使節団『米欧回覧実記』や堂々たる日本人、薩摩スチューデント、西へを早速買って読み始めた。ほかに旅の紀行文などがあり、神谷さんが訪ねた場所を追って私も旅をしたいととりあえずGoogleマップに印をつけた。まずは渋沢栄一の故郷ー深谷市、飛鳥山公園、松代の象山神社、それにエッセイ「下町散歩」にでてくる史跡巡りである。初めて知った「あしたのジョー」は必見である。早くコロナ騒ぎが終わらないかな?