8/29/2024

柴五郎〜日英同盟影の主役

外国人居留民らを救った柴五郎中佐の活躍

英国の作家、ピーター・フレミングが、当時の関係者の日記などをもとに『北京籠城』で、次のように記している。

「柴五郎中佐は、籠城中、どの士官よりも有能で経験も豊かであったばかりか、誰からも好かれ、尊敬された。当時、日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったが、この籠城を通じてそれが変わった。日本人の姿が模範生として、みなの目に映るようになった。日本人の勇気、信頼性、そして明朗さは、籠城者一同の賞賛の的となった」


実際に柴五郎中佐の配下で戦った英義勇兵の一人は、『守城の人』によると、おおむね以下のように書き残している。

「日本軍が優れた指揮官を持っているということに気付くには時間がかからなかった。小柄な指揮官は、混乱を秩序よくまとめ部下の兵士だけでなく避難民も含めて組織づくりを見事に行い、前線を強化した。その指揮ぶりをみて、この人の下で死んでも良いと思うようになった」

「救出は日本の力によるものと全世界は感謝」と英紙

英公使館員は日記でこう絶賛した。 「王府への攻撃が極めて激しかったが、柴中佐が一睡もせず指揮を執った。日本兵が最も勇敢であることは確かで、ここにいる各国の士官のなかでは柴中佐が最も優秀だと誰もが認めた。日本兵の勇気と大胆さは驚嘆すべきで、我が英水兵が続いたが、日本兵の凄さはずば抜けて一番だった」

英タイムズ紙は社説で「公使館区域の救出は日本の力によるものと全世界は感謝している。(中略)日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。(中略)日本は欧米の伴侶たるにふさわしい国である」と絶賛したのだった。 

「日本武士道は西洋騎士道である」

総指揮官だった英国のマクドナルド公使は、「サムライ魂」を持つ柴五郎中佐と日本兵の礼節と勇気に感動し、「日本武士道は西洋騎士道である」と称賛した。そして「日本人以外に信頼し得る人々は他になし」との信念から、「東洋で組むのは日本」と確信し、これが日英同盟締結につながった。英国には、義和団事件以降も満州から撤退しないロシアを牽制する必要性もあった。日英はロシアの南下を防ぐ共通利害があった。

マクドナルド公使は帰国後、ロバート・ガスコイン=セシル首相(ソールズベリー侯爵)を説得し、英国のアジア政策と1896年以来、「光輝ある孤立」政策を棄却して、日本と同盟を結ぶことを強く勧めた。そこに柴五郎中佐の活躍があったことは、間違いない。その意味では、柴五郎中佐が日英同盟を締結した陰の主役である。

1902年1月30日、林公使の努力が実り、歴史的ともいえる「日英同盟」が締結される。世界が日本を一流近代国家と認めた瞬間となった。

日英同盟締結を報じる1902年2月12日付の英紙タイムズのコピー(大英図書館別館新聞図書館所蔵)時事