欧米には、Ideologie(独)またはIdeology(英)という単語がある。日本では、近代日本語で「イデオロギー」というコトバを使うのが一般的である。もはやイデオロギーの時代ではない、イデオロギーに凝り固まった青二才、過激なイデオロギーに洗脳された奴はテロ(暴力、破壊行為)に走る、といった具合に否定的な意味合いで使われるのではないか。いや、それは私の見解である。世の中の人々がどう解釈して使っているのか知らない。そんな話に興味がなかったから、友人知人と議論したこともない。
基本的にカタカナ英語やローマ字略称(LGBTとかSDGsとかGXなど)は危険である。欧米カブレの日本人は騙されやすい。そうしたコトバを掲げる裏には利権、金儲け主義という新手のイデオロギーがある。利権が目的化すると、日本社会が、国がどうなろうが関係ないという悪徳がはびこる。そんな国会議員の多いことに唖然とする。
自民党の次期総裁選もその一例だ。既得権益を守るために、次期選挙でまた議員になるために、多くの議員が必死である。国家国民のために働く議員を次期総裁に選ぼうという気配がない。自民は腐った。公明は元々腐った媚中の巣窟で、安全保障上重要な国交省大臣ポストを10年以上も独占するとは何事か。媚中隷属の山口那津男は日本を弱体化することしか考えていない。また話が飛躍した。日頃腹が立っていることがどうしても自然と出てきて書いてしまう。
この三年間、ネット(WebニュースやYouTubeチャネル、XなどのSNSでの各界著名人、一般人の発言・コメントを聞いたり読んだりした範囲では、中道右系の人は過激な左系(反日活動家が多い)の人たちの思想・信条・行動規範・偏った政治的立場などを指してイデオロギーと呼んでいる気がする。
元々のIdeologyは、Idea(考え、観念、着想、姿、形)とLogos(思想~秩序、調和、論理、理性、これらを包括する概念)を組み合わせたコトバ。日本語には対応する言葉がないため、カタカナ表記でいろんな解釈がされて次第に定着していった。共産主義、社会主義とかマルクス主義といった”主義・主張”のことだという理解が一般的なのだろう。日本語にはなかった考え方は、カタカナ表記され、明確な定義がないまま一人歩きする危険がある。
ダイバーシティ、アイデンティティ、インクルージョン、ジェンダーフリー、LGBTQ+、SDGs、GX、EV、メガソーラー~こういうコトバの裏には邪悪な意図と利権、金儲け主義というイデオロギーが隠されている。もっとも日本語でも同じじゃないかとも言える。人権、差別、弱者、貧乏、虐待~どれも二文字の一般単語だが、これに”ビジネス”をつけると金儲け主義の闇が浮かび、悪徳弁護士ビジネスもあぶりだされる。
ここで書いたようなことを公開ネットで書くと。「ネトウヨ」の発言として攻撃される。主張とは関係のないことで反論することを「ストローマン論法」という。その有名人が橋下徹である。百田尚樹の「~の研究」に詳しい。
話がまた脱線するが、「ネトウヨ」というコトバは、左系がネットで発言する右系の人たちを呼ぶ用語(Buzz Words)だとは最初の頃(三年前)は知らなかった。文脈から、「ネットでウヨウヨしている人」のことだろうといった認識しかなかった。それは左翼系の人が、右翼系の人や発言をバカにしたり揶揄したりするときのコトバだと知った。しばらくして「パヨク」というコトバを知った。意味不明だった。右系の人が使うコトバだが、聞くことが少ない。
脱線ばかりして、この記事で何を描こうと思ったのか忘れてしまった。たしか「言葉は文化の器」ということをテーマに書こうと思った。何を契機にそう思ったのかも忘れた。よくあることである。年を取ると話が長くなる、くどくどしくなるというが。まさにその好例が私の記事だろう。記事というのも変だな。ブログというカタカナに抵抗感があるからだろう。日記というコトバが適切だろう。他人の目を意識せず、パソコン文化では思いつくままに鍵盤のキーを叩くだけだ。鍵盤と言わなくてもキーボードというほうがいい。鍵盤といいながらキーというのも変だ。しかしキー以外にどんな言葉をつかえばいいのか?鍵なんていうのはバカげているし。事程左様に日本語は難しい。こだわりすぎだが。