7年ぶりにLinux Ubuntuを試している。Windows10サポートが2025/10に終了すると知ったからである。メインPCのi7が第7世代のためWindows11にアップグレードできない。Windows11マシンを買ってもいいが、使い慣れた利用環境を移行するのが面倒である。Windows10のまま、Linuxをインストールする手もあると思った。
Windows10サポートがなくなった後、懸念するのはDefenderがアップデートされないことだけである。ネットに繋がなくても、写真や動画の編集はできる。Web用HTMLファイルも作成でき、ネット環境がなくてもブラウザを使って、写真・動画を含むアルバムを表示できる。ネットに繋がなければ、Defenderは不要。マルウェアの心配は全くない。感染経路を絶つことが安全安心を確保する最善策である。
WindowsにDefenderが標準搭載され、無料で使えるようになったから使っている有料ソフトは使ったことがない。どんなウィルス対策ソフトを導入しても、その日に発生した新型ウィルスの防御はできない。「安全だが安心ではない」などと言って顰蹙を買った"緑のたぬき様"がいたが、安全ではないから安心できないというのは正しい構文だろう。安心できないから、感染しても問題を最小限に食い止める対策を打っておく。それが常とう手段である。
20年前のデスクトップWindows XPはWeb検索用に使っている。感染してもリセットすれば済む。スマホではバッテリの消耗を抑えるために、旅で頻繁に使うGoogleマップは機内モードで使うことが多い。メインPCをWindows10で凍結してローカル作業に使い、ネット環境はLinuxで構築して利用する手もあると考えた。
私がパソコンを使うのは、写真や動画の編集、Javascriptを使ったHTMLの作成、ブラウザでの表示・確認などの作業のためである。それ以外はスマホがあれば十分な時代である。使用頻度(時間)では私の場合、パソコン1,スマホ9である。写真の整理やHTML作成もスマホでやっている。パソコンでWeb環境が必要な作業はLinuxを使う。そういう使い方をするかどうかの判断である。もちろん、WindowsをやめてLinuxだけを使う選択もあり、現にNASにはLinuxを使っている。
Linuxだけにしたときの私の問題は、長年(古いものは20年も昔から)使っている便利なアプリ(PicasaやMKEditor、Flexible Renamer, GIF作成、縮小専用など)がLinuxで使えないということだ。画像や動画の編集ほかたくさんのフリーソフトをLinuxで使え、それらがWindows有料アプリより優れている場合があることも知っている。画像編集ではGIMPがある。商用レベル、プロ用だといっても過言ではない。おまけにSchemeやPythonスクリプト(プログラム)を使って機能を追加したり、処理を自動化することもできる。高度なWebアプリ開発にはPythonを使う。Windowsとは異次元の開発環境かも知れない。
話が逸れそうなので元に戻すが、機能的に優れていることが分かっても、使い慣れたソフトから離れることにためらいがある。第一にほかのアプリにする必要を感じないからだ。LinuxにWINEというアプリ(仕組み)があって、その配下でWindowsアプリを使える。Linuxの魅力にはまった10年ほど前に調べたが、Picasa(Googleが買収し"フォト"になった)が使えなかった。私にとってはPicasaがなければパソコンを使う意味がないので、サポート終了後もWindowsを使い続けているというわけだ。
Linux利用環境
今回調べると、Linuxディストリビューション(種類)は主なものだけでも13種もあった。昔は、Fedora, Debian, Ubuntu, RedHat, CentOSくらいしかなかった気がする。とりあえず使い慣れたUbuntuにした。Linux利用環境で以前と違うのは、Windows10からLinuxを利用するための仕組み(WSL標準搭載)があることである。これを勉強する。
▶WSL を使用して Windows に Linux をインストールする方法
1.WindowsコマンドプロンプトまたはPowershellで
>wsl --install
2.ディストリビューションのアップデート:
>sudo apt update && sudo apt upgrade
3.再起動して username と password を設定
▶WSL の基本的なコマンド
ガイドライン通りに三つのコマンドを使うだけでインストールできた。こうしたシンプルなところがUnixの良さである。WindowsはMS-DOS(Unixを参考にして作られた)の上にGUIをゴテゴテとかぶせてきたから使いにくくなった。普通はアプリしか使わないから一般には問題がない。トラブルがあると一般人には手に負えなくなる。だからサポートサービスのビジネスが成立する。商売、商売である。商売する側で企画を担当したから分かる。
ここからはUNIXというコトバから思いが遠い昔に飛んで、よしなしごとを書き連ねた。何を書きたいのか自分で分からなくなった。後で整理する。
UNIXはオープンソースで発展してきたから商売っ気がないのがいい。もちろん商売に使っていい。だから産業振興にもなる。21世紀の優れた仕組みのひとつである。私のようなサーバアプリケーション(SNSやX)開発の経験がない素人でも、ITの仕組みをある程度理解していれば、オープンソース開発のアプリのソースプログラムを無料で入手して、自営サーバにインストールし、見ようも真似で変更を加え、自分で動かすことができる。
最初に手を付けたのがMovable Typeというブログサービスだった。2003年のことで、日本が「日記」から「ブログ」に進化する黎明期だった。私はIT企業に勤務していたので、世の中の一般の人より知識があったし、日本市場より数年から十年進んでいた米国業界との接点もあったから、普通だと思っていることが、日本では認知されていないことを知って驚いたものだ。そんな知識、体験で物事を語ると、「知ったかぶり」とか「自慢している」とか「鼻持ちならない」とか「偽善者」とか、そういう風にみられる日本特有の文化があることも再認識した。もちろん、面と向かってそういう否定的なことをいう人はいない。それも日本人気質である。
ここで思いっきり話が逸れる。「面と向かって言わないが、その気持ちを相手に察して欲しい」というのは、京都に色濃く残っているといわれる。ちょこっと検索すると「京ことば、遠まわしな言い回しの裏表~京都人の本意を探る~」というサイトがあった。いまはもう若い人たち(50歳以下)とネット以外で付き合うことは少ないから、この京都分が残っているのか、どこまで若い人が理解しているのかは知らない。私の世代(高齢者)であれば、関西育ちであればすぐ分かるだろう。「考えときます」は大阪でも「断ります」の意味である。「おおきに」は「ありがとう」の意味だが、夏目漱石の逸話(先の記事の中にある)でも分かるようにちょっと複雑である。
簡単に言うとKY(空気を読む)のことだ。これは日本特有である。日本に生まれ育った人以外の人は理解に苦しむことだろう。KYは言葉を替えると「同調圧力」のことでもある。行き過ぎると「全体主義」になる。近年ではコロナ騒動が典型である。
話が逸れるといったが、前置きが長くなった。言いたかったのは、日本人特有の気質が外交にも影響を与えるということだ。外交問題は素人で分からないが、ビジネス交渉についてはそれなりの経験がある。日本語には外交、交渉、折衝というコトバがある。外交は英語では diplomacy で国家間の交渉や関係を築くための活動だが、交渉と折衝は英語では Negotiation である。いずれも「合意を目指す行為」のことだが、微妙に意味合いが違う。交渉は互いの利益の最大化が主眼だが、折衝は利害が一致しない相手との妥協点を探すことである。事業提携や合従連携とかジョイントベンチャーでは、お互いに利益があるから進める。自社の利益を最大化するために交渉する。利害が一致しない相手とは、交渉ではなく折衝の方がしっくりくる。もちろん折衝の方が苦労する。文字通り「衝突」があるからである。
「折衝」で私が経験したことで一番多いのが「アプリの移植契約」である。パソコンからメインフレーム(これは今や死語)までアプリ(顧客が使うソフト)がなければ、コンピュータを買ってもらえない。何もかもアプリを自社開発することはあり得ない。第三者(サードパーティ)が開発したアプリを自社コンピュータで使えるようにすることが必須である。市場で強い立場にあるときは、サードパーティが進んで協力してくれるが、そうでないときは苦労する。パソコン草創期やUNIXワークステーションの立ち上げ時は、非常に弱い立場だった。スパコンでもそうだった。UNIX/スパコンのときは日米貿易摩擦の真っ最中だったため、なおさら大変だった。米国市場が3∼5年は先行していて市場が拡大しているから、サードパーティが世界の一割にも満たない日本市場に進出する理由がなかった。日本では彼らのソフトがないと一台数億円のコンピューターが売れないから事態は深刻だった。
(中断)
Unixワークステーション幕開けの時代に私は米国駐在員だった。もともと自分がリーダーになって開発したアプリ(トヨタ東富士研究所との共同開発から生まれた)を、米国市場で売りたいという気持ちがあった。当時CAD/CAM市場は、年率40%という脅威的な成長率を誇る市場だった。CAD分野ではCADAM、ターンキーではComputer Visionといったサードパーティが注目されていた。プラットフォーム(アプリが動くコンピュータ)はメインフレームからUNIXワークステーションに遷る時代で、ApolloやSun Microsystemsが台頭して、メインフレーム市場を駆逐するような勢いだった。
ところが日本では利益率の高いメインフレーム時代を謳歌してそこに安住するような状態で、CADソフトも開発を始めたばかりという状態だった。米国市場に遅れること5∼10年だっただろう。メインフレームを買ってもらうためにはCADソフトが必須だという営業からの意向が強くなり、最初の契機になったのが富士電機(私の勤務企業の元親会社)のCAD商談だった。私はこの商談とは無関係だったが、問題向き言語班が担当していたトヨタとの共同開発(DHS)の基本となったアプリ(AXEL)の開発が一段落する頃だったからか、富士電機CADの基本となるカストマイズ可能な汎用CAD(Integrated CAD、略称ICADと命名)自主開発に踏み出した。ICADは個別アプリ共通のGUIとEDBに加えて、プリント版設計(ICAD/PCB)、布線・束設計のシステム開発も含まれ、AXELよりも大掛かりな開発プロジェクトとなった。当初見積もりでは初期リリースまで2∼3年が必要だった。顧客は一年以内に使いたいという。納期が遅いのならConputerVisionを買うとの意向があった。営業からの圧力もあり、その頃新しく赴任してきた上司からも説得されて納期を1年半とすることになった。これが私の交渉における最初の失敗だった。開発技術者だから交渉などどうやっていいのか分からなかった。開発者としての知識と経験から2∼3年かかるとしか思えなかった。その開発期間を確実にするために開発力を備えた人材を確保しないといけないし、私自身のキャパシティも限界があった。AXEL開発だけでなく、従来からのAPT/EXAPTや三次元CAD・ロボット(TIPS研究会)あるいは核融合向け言語とかいったプロジェクトが動いており、各部隊の事務所は三カ所に分散しており、全体を管理することすら限界になりつつあった。振り返ると、あれこれと大変だったことが思い出される。
書くのを何回か中断しながら書いていると、何を書いているやら自分でも分からない、支離滅裂な内容になってしまった。思いがあっちこっちに飛んでしまうからである。そもそもこの記事を書きだしたのは LINUX Ubuntuを久しぶりに使ってみようと思ったからである。それがいつの間にか40数年前のCAD/CAMの話になった。我ながらあきれる。日記だから何をどう書いてもいいが、こうも構文不明になると自己嫌悪に陥る。あとで見直し整理しよう。