昨夜OCNモバイルONEでOPPO A5 2020+音声SIM1GB購入の申し込みをした。その際にgooID登録を求められた。また個人認証のために運転免許証の写真をスマホで撮って送付した。そうすると翌朝(今朝のこと)、そのスマホに運転免許証の写真を引用した通知があった。何だろうと思って開くとEvernoteからだった。もう二年以上使っていないアプリだった。今使っているarrowsにはインストールさえしていない。なんだか不気味に感じた。
しばし考えを巡らせる。いま使っているのは二年前から使っているarrowsではなく、機種変更前のStream Xだった。arrowsは充電中で、その間Stream XをWiFi接続で使い、写真を撮ったわけだが、このStream XにインストールされていたEvernoteから、「テキストを含む写真を検出しました。デジタル化して保存しますか?」という通知だった。自動的に文字認識をして検索対象にしてくれる機能である。
忘れていたEvernoteのメモを懐かしく読み返した。このメモをもとに肉付けをしてブログ記事にすることがあるが、ほとんどのメモは放置したままだ。面白い興味あるメモもいくつかある。「聖徳太子はペルシャ人?」なんて衝撃的なメモもあった。出典をメモしていなかったので検索すると、gooブログ新・遊歩道の「平清盛と聖徳太子のルーツを探って」 という記事がトップに表示された。テレビ東京「世界遺産“三大迷宮”ミステリー」 の視聴メモだった。
新・遊歩道の記事が面白かったので「いいね!」を押したら、gooIDと関連付けると・・・と勧められ、そういえば昨夜gooIDを登録したな・・・と思い出した。で、さっそくgooIDでgooブログを開設したというわけである。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という格言を実感する出来事がこの世には多い。あらゆるものがどこかでつながっているのだろう。14年前、twitterクローンやmixiクローンのプライベートSNSを試作し運営したときのテーマは「つながり」だった。Six Degrees of Separation(日本語訳は六次の隔たり) という言葉が流行った。友達の友達の友達・・・と六ステップ辿れば世界中の人と間接的につながるという仮説である。
SNS世界に身を置くと、特に10億人規模のfacebookなどに浸かってしまうとありとあらゆる人々とどこかでつながっているという幻術に惑わされる気になり、実際に思いもかけぬ出会いをすることがある。身を隠す場所がないのである。人は人とつながって生きている。それが第三の本能、社会欲であると社会学者や心理学者は言及する。