団塊世代が成人を迎えた1967年、「あの頃は雨を防ぎ、風を遮る屋根のある家が欲しかった。いまでは誰もが、一応雨露をしのげるだけの屋根の下に住んでいます。それにも関わらず、住まいの問題は、私たちのもっとも深刻な問題のひとつです…」、そんなナレーションで始まるドキュメンタリー番組が放送された。
平成生まれ(今年33歳)の若い世代の人にとっては、その番組で映し出されたリアルな情景は、戦前戦後を扱った朝ドラや映画「ALWAYS三丁目の夕日」の中でしか窺い知ることができない。
それは、団塊世代の人たちが、明治大正時代の人々の暮らしを想像するようなもので、「歴史を学ぶ」ことである。この世代の年齢差が50年になることに愕然とした思いを抱くが、いま20代の若者にとっての団塊世代は、「祖父母の世代」だから至極当然のことである。
今から54年前(1967年)に放送された番組を、どちらの世代からの視点で見るかによって感じ方は大きく違う。そんなことに興味が湧いた。
▶︎新住宅難 - リアル三丁目の夕日!昭和42年(1967)放送
当時の東京の山の手、下町や団地など七つの地域の住宅事情を調べ、豊かで健康な暮らしを支える標準的な住宅の基準が策定された。
一人当たりの住居面積2.5帖(畳)以下が、下町ではほぼ50%に達していた!四畳半に5人とか六畳に9人家族が住むという超過密な住宅事情が浮かび上がった。
当時の家賃は、6畳一間6千円、民間の二間は1万5千円。月収2〜3万円の時代だった。
「就寝分離」という言葉がある。ある一定以上の年齢になると家族でも寝室を別にしなければならないという考え方である。昭和前半の都市に暮らす庶民は「ちゃぶ台」で、食事も勉強も書き物もし、夜は「雑魚寝」だった。子供たちが大きくなると先ずは「就寝分離」になり、さらに「食寝分離」になる。家庭の中の個人の時間や空間がない時代だった。
6畳ひと間のアパートに20年暮らしてきた7人家族に、ある変化が起きた。夜になると子供たちだけが別のアパートに行く。寝るためだけのアパートを月7千円で借りたのである。
四畳半に母娘四人が心中 |
人が健康に暮らすための住まいの最低限度の広さが明らかになった。心も体も健康を保つためには、住まいの広さは一人当たり少なくても3.5畳が必要だという結論である。物理的精神的に安心できる居住空間は一人あたり5畳以上が求められる。これが精神衛生上の配慮も求めた建築基準法改定に大きな影響を与えた。