4/21/2021

急行「雲仙」

FB友だち(雀の学校同級生)が学生時代に行った九州の旅の思い出を書いている。同じ頃(1968年)私も初めて長崎に行った。個人的な旅ではなく「学生体操連盟」の仕事の一環で長崎体育館で開催された「全日本学生体操選手権大会」に参加するためだった。たしか男3∼4人+女性2人で大阪から長崎まで普通列車で行ったと思う。FB友だちは感心するほど遠い昔の細部まで覚えているが、私の記憶はボヤ~としている。その頃のことをいろいろ調べていると、連想ゲームのように思い出してくることもある。

最初に気になったのが、大阪~長崎の急行列車である。往きのことは全く記憶にないが、帰りの時は女性二人とボックス席であれこれ語り合った。そういえば彼女とダンスパーティにもいったなぁと懐かしく思い出した。それはさておき、急行列車が気になってネット検索をした。

最初に見つけたのが「過去のニュース 急行「雲仙・西海号」廃止へ」で、ここから再検索して「 1962年11月の急行「雲仙・西海」の時刻」というブログなど、「山陽本線優等列車沿革」をみると長崎行きは京都からの「玄海」、東京からの「雲仙」が1956年に開設されていた。その後の特急かもめや新幹線は学生には縁のないものだったので、1968年の時点で運行されていた急行は「西海」と「雲仙」にちがいない。1968年10月の改正では「西海」は大阪~佐世保になり、同客車寝台は「雲仙」に統合された。

ということで、「そうか、雲仙だったな!」と記憶が甦った。当時「全学連」の活動が活発で、佐世保エンタープライズ(原子力空母)寄港阻止闘争が連日新聞やテレビをにぎわしていたことも思いだした。調べると闘争が終結した翌日(1968年1月24日)の「雲仙」「西海」は帰郷する全学連の学生たちであふれ、”全学連列車”と呼ばれた。

FB友だちは佐世保、長崎の観光の思い出を書いているが、私には観光の記憶がない。唯一グラバー邸に行ったことを覚えているくらいである。もとより観光ではなく学生連盟の仕事だったし、その帰りに旅をする金銭的余裕もなかった。近いうちに長崎には行ってみたいと思っている。浦上、出島、小説「沈黙」の舞台など歴史・文化に興味がある。
いまも「雲仙」が運行されていたらすぐにでも乗って長崎まで旅したいと思う。ネットにアップされていた1962年の時刻表によると、大阪駅20時21分発、長崎駅(翌日)11時42分着である。1968年10月に季節列車として運行された急行「ながさき」の時刻用では、大阪16時発、長崎6時51分着。いずれも15時間以上の長旅だが、私は苦にならない。いまどき夜行列車に乗る人は少ないからボックス席を独り占めして動く個室みたいに使えるのではと空想する。

絵空事は別にして、現実に普通列車(追加料金なしの急行や快速を含む)で行くとどうかと調べると、なんと乗換回数が10回以上、23時間(乗車時間は16時間)かかる!横浜からだと30時間(乗車時間24時間)以上かかり、いくら何でも長すぎる。大阪と下関で途中下車の旅を3泊位した後、下関から長崎まで5泊くらいののんびり旅とするのがいいかもしれない。下関からだと長崎まで6時間(乗車5時間)だから5泊の旅だと移動時間はあまり問題にならず、かなり余裕ができる。青春18きっぷが使える夏の旅の候補にしよう。