Amazonレビュー抜粋
真実真理
満洲事変当時の中国の真実が分かる
2013年2月17日に日本でレビュー済み
この本は、1931年(満洲事変)から1937年(支那事変)に至るまでの満洲、中国における事実関係を記載した、1938年2月にロンドンで出版されたジャーナリストによる英語本の翻訳である。
1904年、日本は、日露戦争により満洲からロシア軍を排斥した。日本人の犠牲の下に中華帝国のぐらついた土台を支え、中国を目覚めさせ、中国を安定させるのに中国が協力するとの希望を、日本は抱いていた。1905年、日本が、ポーツマス条約により南満洲鉄道の経営権と沿線付属地の活用権(特殊権益)を得て、満洲を開発した後、満洲は発展し、漢民族の満洲への移民が増加し、漢民族による満洲人の民族同化が進行した。米国は、日本による満洲の発展を門戸閉鎖というが、実際は、米国から満洲への輸出は、年々、増大していた。
1915年、中国に侵害されている満洲において、日本に対する妨害政策を排除し、日本の権益の保護のために21ケ条の要求をしたが、中国が日本に協力していれば、そのような要求はなかったであろうという。うち16ケ条については、現状確認であり、アメリカは異議がないことを日本に通告した。残り5ケ条は、要望として提案されたが、日本は、これを取り下げた。
また、最後通告の85日前に、中国は大部分を受け入れ、30日前に、合意に至った。最後通告は、袁世凱が、政敵に対する言訳のために、日本に要求したものであった。世界は、日本が最後通告により受諾を強制させたと誤解しているとある。
1924〜1927年に掛けて、ソ連から蒋介石や中国共産党に対して、張作霖の没落、武器、資金の援助、西洋列強との敵対関係を維持して日本を孤立化させることが指令されていた(1926年2月ソ連政府からの駐在陸軍武官への指令文書) 。
中国人に寛大な態度で接すると、中国人は、それは弱さの証か収賄の要求とみて、約束は守らないし、国としては多数の条約侵犯があった。条約侵犯の例として、土地の賃借権の拒否、輸出税の4倍の上昇、満鉄平行線の建設、鉄道延長の拒否、中国鉄道による日本商品の輸送料の差別的高料金、大連港の返還、満鉄沿線の警備兵の撤兵、満鉄沿線の日中共同鉱山事業の交渉拒否、大連港におけるタバコ重課税、満鉄建設のための土地売買の禁止、鉄道区域外への日本人の居住及び旅行の禁止、朝鮮人迫害、沿線区域内での不法な税の徴収、日本が資金を提供した中国鉄道に対する日本人の任命の拒否及び監督権行使の拒否、日系資本鉄道の売上金の着服、借款返済の停止などが挙げられている。
これらが、1931年に起こった満洲事変の原因の一つである。
トーマス・エジソンは、この辺の事情について、「日本の事業能力が驚くべき速度で上昇している。日本は進歩的で進取の気性に富んだエネルギッシュな国である。日本がごく自然な流れで拡張して行ける国々にその活動範囲を広げて行くことを、国際社会が一致団結して妨げるならば、日本を静止した平和な満足した状態のままにとどめておく方法を見いだすのは難しいだろう。西洋列強諸国が日本の政策に援助することは、むしろ、列強の利益になる。そうしなけば、いずれ爆発し、武力抗争に発展し、計り知れない犠牲を日本に反対する列強の側に生じさせるであろう。」と述べている。
1927年、国民党の権力を奪う共産党の目論見が明らかになると、蒋介石は共産党員を排斥した。共産党の紅軍は各地で殺人(60万人)、放火(32万戸)、略奪などの破壊活動を展開し、外モンゴルのソ連軍との合流を目指した。この事実の他、暴動、ストライキ、宣伝工作、排日運動と日貨ボイコットが、日本に共産主義の脅威を与えた。
1936年12月、共産党に協力した張学良が蒋介石を投獄し、釈放の代償として、ソ連の指令により国民党と共産党が共に日本と戦うように蒋介石に誓約させた西安事件が起こった。これが契機となり、中国共産党により仕掛けられた支那事変、蒋介石により拡大された上海事変を経て、日本は中国での争いに巻き込まれて行くことになる。
この本には、ソ連、コミンテルン、中国共産党による日本排斥活動、虐殺行為の偽装写真による宣伝工作、上海の外国租界への空爆を日本軍が行ったとする宣伝工作、南京空爆の宣伝工作、支那人気質など、1931〜1938年における中国の実状が記載されている。
満洲事変、支那事変以後を日本軍による一方的な侵略と思っている日本人は、是非とも、この本を読むべきである。現在の毒ギョーザ事件、尖閣問題、反日暴動、歴史認識の強要に関する中国の態度を見ると、当時は、現在の程度を遥かに超える契約違反、反日排斥暴動が起こっていたことが容易に想像できる。政治家、批評家、マスコミ人は、読むべきである。現在の中国に対する対処法が見える。
2013年2月17日に日本でレビュー済み
この本は、1931年(満洲事変)から1937年(支那事変)に至るまでの満洲、中国における事実関係を記載した、1938年2月にロンドンで出版されたジャーナリストによる英語本の翻訳である。
1904年、日本は、日露戦争により満洲からロシア軍を排斥した。日本人の犠牲の下に中華帝国のぐらついた土台を支え、中国を目覚めさせ、中国を安定させるのに中国が協力するとの希望を、日本は抱いていた。1905年、日本が、ポーツマス条約により南満洲鉄道の経営権と沿線付属地の活用権(特殊権益)を得て、満洲を開発した後、満洲は発展し、漢民族の満洲への移民が増加し、漢民族による満洲人の民族同化が進行した。米国は、日本による満洲の発展を門戸閉鎖というが、実際は、米国から満洲への輸出は、年々、増大していた。
1915年、中国に侵害されている満洲において、日本に対する妨害政策を排除し、日本の権益の保護のために21ケ条の要求をしたが、中国が日本に協力していれば、そのような要求はなかったであろうという。うち16ケ条については、現状確認であり、アメリカは異議がないことを日本に通告した。残り5ケ条は、要望として提案されたが、日本は、これを取り下げた。
また、最後通告の85日前に、中国は大部分を受け入れ、30日前に、合意に至った。最後通告は、袁世凱が、政敵に対する言訳のために、日本に要求したものであった。世界は、日本が最後通告により受諾を強制させたと誤解しているとある。
1924〜1927年に掛けて、ソ連から蒋介石や中国共産党に対して、張作霖の没落、武器、資金の援助、西洋列強との敵対関係を維持して日本を孤立化させることが指令されていた(1926年2月ソ連政府からの駐在陸軍武官への指令文書) 。
中国人に寛大な態度で接すると、中国人は、それは弱さの証か収賄の要求とみて、約束は守らないし、国としては多数の条約侵犯があった。条約侵犯の例として、土地の賃借権の拒否、輸出税の4倍の上昇、満鉄平行線の建設、鉄道延長の拒否、中国鉄道による日本商品の輸送料の差別的高料金、大連港の返還、満鉄沿線の警備兵の撤兵、満鉄沿線の日中共同鉱山事業の交渉拒否、大連港におけるタバコ重課税、満鉄建設のための土地売買の禁止、鉄道区域外への日本人の居住及び旅行の禁止、朝鮮人迫害、沿線区域内での不法な税の徴収、日本が資金を提供した中国鉄道に対する日本人の任命の拒否及び監督権行使の拒否、日系資本鉄道の売上金の着服、借款返済の停止などが挙げられている。
これらが、1931年に起こった満洲事変の原因の一つである。
トーマス・エジソンは、この辺の事情について、「日本の事業能力が驚くべき速度で上昇している。日本は進歩的で進取の気性に富んだエネルギッシュな国である。日本がごく自然な流れで拡張して行ける国々にその活動範囲を広げて行くことを、国際社会が一致団結して妨げるならば、日本を静止した平和な満足した状態のままにとどめておく方法を見いだすのは難しいだろう。西洋列強諸国が日本の政策に援助することは、むしろ、列強の利益になる。そうしなけば、いずれ爆発し、武力抗争に発展し、計り知れない犠牲を日本に反対する列強の側に生じさせるであろう。」と述べている。
1927年、国民党の権力を奪う共産党の目論見が明らかになると、蒋介石は共産党員を排斥した。共産党の紅軍は各地で殺人(60万人)、放火(32万戸)、略奪などの破壊活動を展開し、外モンゴルのソ連軍との合流を目指した。この事実の他、暴動、ストライキ、宣伝工作、排日運動と日貨ボイコットが、日本に共産主義の脅威を与えた。
1936年12月、共産党に協力した張学良が蒋介石を投獄し、釈放の代償として、ソ連の指令により国民党と共産党が共に日本と戦うように蒋介石に誓約させた西安事件が起こった。これが契機となり、中国共産党により仕掛けられた支那事変、蒋介石により拡大された上海事変を経て、日本は中国での争いに巻き込まれて行くことになる。
この本には、ソ連、コミンテルン、中国共産党による日本排斥活動、虐殺行為の偽装写真による宣伝工作、上海の外国租界への空爆を日本軍が行ったとする宣伝工作、南京空爆の宣伝工作、支那人気質など、1931〜1938年における中国の実状が記載されている。
満洲事変、支那事変以後を日本軍による一方的な侵略と思っている日本人は、是非とも、この本を読むべきである。現在の毒ギョーザ事件、尖閣問題、反日暴動、歴史認識の強要に関する中国の態度を見ると、当時は、現在の程度を遥かに超える契約違反、反日排斥暴動が起こっていたことが容易に想像できる。政治家、批評家、マスコミ人は、読むべきである。現在の中国に対する対処法が見える。