日本が高度経済成長期にあった1960年代、私は中高大学生という多感な年頃だった。橋幸夫、舟木一夫、三田明、吉永小百合、栗原小巻といった芸能人たちに親しみを覚えるテレビ世代の一人である。一世代上の先輩たちが憧れた「銀幕のスター」という言葉には馴染みが薄くなっていった時代でもある。
ところが、私の記憶の中には、森繁久彌、加東大介、小林桂樹、司葉子、草笛光子、団令子、雪村いづみといった俳優たちがいる。東宝の映画俳優に一番馴染みがあるのは、大阪在住の叔父が東宝系の映画館の支配人をしていたため、遊びに行くと映画館に潜り込ませてくれたからである。
東宝系だけでなく、支配人仲間の誼で、東映、大映や外国映画上映館にも潜り込ませてくれた。春夏冬の休みには大阪の叔父さん叔母さんを訪ねてお世話になった。小学生の頃は、母方の祖父母や大叔母の家を訪ねることが多かった。父の従兄弟たちが私の面倒を見てくれた。
小中高までの日常生活の行動半径は3~6km、徒歩または自転車で行ける距離の範囲に限られていたので、休みの時に電車で行ったところは騒々しいが刺激に満ち満ちた別世界だった。村社会とは異次元の開いた社会の息吹を感じ、体験できたことは、少年時代の私を育む大きな糧となった。
古い話を思い出してしまった。たまたま「青い山脈」を思い出し、その時代背景をあれこれ調べているうちに話があっちこっちに飛び火することになった。
戦後生まれの団塊世代〜しらけ世代(現在60代以上)にとっての映画「青い山脈」は吉永小百合主演の1963年版がいちばん身近に感じる。といっても私は封切られた当時に見た記憶はない。映画よりも小説と歌謡曲の方が記憶に残る。映画化は5回されている。一番名高いのが原節子主演の初版(1949年)で、著作権が消滅したため、YouTubeなどで全編を視聴できる。昨夜3時間通してスマホで視聴した。男女関係の封建性が色濃い時代背景が興味深い。
▶︎杉葉子 1980年代 ロスアンゼルスのホテルニューオータニに渉外マネジャーとして勤務。退職後アーバインの日本料理店経営。この頃何度かお会いした。