〜縄文から紐解く祖先のルーツ〜
日本には「世界最古」が多いことを知っていましたか?
- 世界最古の磨製石器が群馬から発掘
- 青森から最古の土器
- 北海道から最古の漆器
- 沖縄から最古の釣り針
- 法隆寺は世界最古の現存する木造建築
- 株式会社金剛組は578年に創業した最古の企業
- 紀元前からと言われる日本の皇室は世界最古の王室
などなど、いろいろ出てきます。
ですが、不思議に思いませんか?
私たちが知っている教科書通りの日本史なら、日本人の祖先は中国大陸から朝鮮を通りやってきたはず。
大陸より古い道具類や遺跡が日本で発掘されてしまっています。
教科書通りの日本史なら、古代の日本人は原始的な生活をし遅れていて、中国から農耕や文化を取り入れることでやっと発展できたはず。
中国から本腰を入れて文化・技術を取り入れ出した頃に、日本では世界最古の木造建築が建てられ、それより前に既に、世界最古の企業や皇室などの高度な組織ができてしまっています。
このように、「古代の日本には何もなかった」というイメージが、「世界最古」を探れば180度変わっていきます。
東北大学名誉教授の田中英道先生は
「人類は中国大陸より早く日本に到達・定住し、古くから独自の高い文明を持っていた」と言います。
50年以上歴史研究の最前線で世界的に評価を受ける田中教授は、過去20〜30年で飛躍的に進化した発掘技術やDNAを含む科学分析を取り入れ、古代史を次々とひっくり返し続けてきました。
そのひっくり返った古代史を、もう少し挙げてみると……
日本人の起源に秘められた謎
人類は中国よりも先に日本に到達していた?
近年の人類学研究によると「アフリカで誕生した人類は約3万年前に中国大陸に到達したが、日本にはもっと早い約4万年前には到達していた」という事実が確認されています。
つまり、日本人の最も古い祖先(縄文人)は、中国大陸を経由せずに日本に到達したということです。大陸伝いでなければ、一体どのルートから来ていたのでしょうか?
「縄文人」とは何者か?
骨格とDNAの不可解な謎
縄文時代の人々は、目鼻立ちがはっきりしていて、彫りの深い顔立ちであるため、歴史家の間では「東南アジアの人に近いのではないか?」と考えられてきました。
しかし、近年、DNAの解析によって、縄文人が中国や朝鮮、東南アジアの系統とも遺伝的に異なることが明らかになったのです。では、縄文人とは何者なのでしょうか?どこから来た人々なのか?
なぜ大陸よりも古い遺跡が日本で大量に見つかるのか?
なんと日本の関東地域では、世界最古(3万5000年前)の磨製石器が出土し、世界最古級(1万6300年前)の土器も大量に見つかっていますが、中国でこの時代の土器が出土するのはごくわずか…
つまり、DNAだけではなく「考古学的」にも、縄文以前は、中国・朝鮮系の大陸文化の影響は受けておらず、独自の文明を築き上げていたことを意味しています。 では、このような高度な文明を築いた日本人のルーツはどこにあったのか?なぜそんな重要な事実を私たちは教えられていないのか?
なぜ日本語は中国・朝鮮の言語と似ていないのか?
もし日本人の祖先が中国・朝鮮系であれば、日本語も大陸の言語に影響を受けたはずです。しかし、不思議なことに比較言語学の研究では、日本語は他国の言語と全く似ていない「系統関係の不明な孤立言語」だと判明しました。
中国の「漢字」が入ってきたのは4〜5世紀ごろ。元々の「話し言葉」である日本語の成立は、それよりも3000年以上も前とされていますが、それは大陸とは全く無関係の系統なのです。日本の「話し言葉」は一体、どこから来たのか?
これら日本人のルーツを紐解く「謎」の答えは、従来の歴史教科書や、文献資料だけに頼る研究からは決して見つかりません。
田中教授の研究は、これまで見過ごされてきたものに着目します。遺跡や遺物など、先人たちが残した文化的遺産を丁寧に紐解くことで、これまでの通説とは全く異なる古代日本の真実、そして「日本人のルーツ」が浮かび上がってくるのです。
全国2500ヶ所の貝塚が発掘調査。内600ヶ所が東京湾沿岸。千葉県内には500ヶ所発見されている。
古墳は、千葉県内では12000基が確認されている。全国でもっとも前方後円墳が多い地でもある。力を持った豪族が多かったことが分かる。
千葉市内の貝塚は110ヶ所。
▶︎加曽利貝塚(遺跡公園&博物館) 縄文時代3000~5000年前
▶︎龍角寺岩屋古墳 下総松崎2.5km 最大級の方墳 100m四方 「椀貸伝説」▶︎房総のむら