2015年に石原氏が見ていた世界の構図、白人支配の終焉、支那(同氏の呼び方)の覇権主義、日本政府の危うさなど、今日の世界情勢に通じる。当時のAIIB参加問題は、一帯一路に協力するかどうかと同じである。
同氏の主張は、他国に隷属する考えや態度を捨て、自分(日本)の意見を主張しろ……と一貫している。みんなが平和を望むのは当たり前だが、自分は「隷属的平和」は望まない。
アメリカに町を作って妊婦を移入させる(米国籍取得のため)ことを平気でやる国に隷属したいのか?と問う。
南モンゴル、チベット、ウィグルに続いてブータンでも漢人移入が進んでいる。日本でも北海道、沖縄で浸透工作が行われ一部顕在化してきた。国の存亡を脅かす恐ろしい事態である。豪州が気づいた"Silent Invasion"が日本でも現実に起きている。
他国を忖度せず、ましてや媚びることなく、ズバリと主張する(できる)政治家がほかにいるだろうか?
石原慎太郎氏が亡くなった。享年89歳。ご冥福をお祈りします。奇しくも私の誕生日だった。
世の中では石原慎太郎と言えば「元東京都知事」とか「保守政治家」と紹介される。その認識は正しいが、私が連想するのさは「NOと言える日本人」であり、「太陽の季節」の作家である。
石原慎太郎と盛田昭夫のエッセイが収録された『「NO」と言える日本』(英訳:The Japan That Can Say No, 1989) が出版されたのは、日米貿易摩擦(自動車、スパコン問題) が真っ最中のときだった。私は駐在員から脱皮し、米国企業との提携ビジネスに係わっていたので、米国批判と受け取られかねない内容が気になったが、結果的に「日本人として誇りを持てる」ものだった。
石原&盛田両氏の意図は、「日本人は自分自身の権利や意見をもっと主張すべきだ」、「他国に依存しない態度をとるべきだ」ということで、アメリカ非難ではなく「日本政府の自己主張のなさへの批判」だった。
日本人読者を想定したものだったため両著者ともに英訳は渋ったと聞いた。とくに盛田氏は「誤解を招く」として身を引いた。
"遺言"〜「私の海」2013
「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」
「死後にあるものはやはり虚無でしかあるまい」
「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている。
鯨になって、自由気ままに世界中の大海原を泳ぐ姿を想像すると心が弾む。」
石原慎太郎氏が10年前に外人記者クラブで話したことは現在の状況そのものと言っても過言ではない。この10年間中共の覇権主義を指を加えた見過ごしてきた政治家の責任は重い。
🎦太陽の季節1956
靖国神社へ参拝した理由は何か、と聞かれ 「また (その質問) かね。 あたりまえ じゃないか、行くの。おれ、日本人なんだ」
「アサヒとは飲むものであって、読むものではない!!!」