5/31/2023

垣内(かいと)

柳田國男に「垣内」について調べた著作があることを知った。この本を参照し、実地検証をしながら解説している動画があった。歴史的経緯も踏まえて掘り下げた内容で感心した。

「垣内」という言葉はすでに死語になっているようで驚いた。かな漢字変換に出てこないだけでなく、グーグル検索でもなかなか出てこない。「カイト」で検索すると、凧(英語のKiteが日本語カイトになっている)とか嵐の歌「カイト」に関連した内容ばかりが表示される。 漢字「垣内」で検索して表示されたあるページは、難解な読み方のひとつとして掲載されていた。その中で「難解だから、カキウチという読み方にする」といった馬鹿げた書き方をしていた。何を言ってるんだ!と思って思わず下記のようにコメントした。

難読だから読み方を変えるのは、歴史や文化を歪める。大和言葉では垣内は万葉の時代から「カイト」である。その使い方は時代とともに変化する。奈良県北葛城郡の地域では、少なくとも半世紀前までは垣内は小集落(区域)のこと。町、村=大字、小字、垣内の順だった。小字の周囲は田畑であり、垣内は小字のを細分化した区画である。川端カイト(村の中を流れる川に面した家々)、南カイト(村の南に位置する家々)などと呼ぶ。

私にとっては「カイト」という言葉は子供時代に日常的に使っていたコトバで、当時はどんな漢字なのか、どういう意味なのかなんてことは考えたこともなかった。露払いは〇〇カイト、炊き出しは△△カイト、オモイデの見張りはXXカイトの分担などと言って交代で役割分担するのに使っていた。

先の動画で「垣内」には長い歴史に根ざした深い意味合いがあることを知った。ぶらり旅を始めてから訪れた恭仁京の話も出てくるので尚更興味深い。さらに笠置村と木津川村の境界が微生物の形のように入り組んでいる事実とその経緯が興味深い。荘園、入会地、垣内などの関係性についても初めて教えられた。