チェコスロバキアでは1968年に「プラハの春」がソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍に蹂躙され、その後長く専制政治の暗黒の日々が続いたが、89年、学生デモへの弾圧を機に広く国民が民主化を求めて立ち上がり、無血の「ビロード革命」で自由を勝ち取った。
運動を決定づけたのは「東京の恋人」と呼ばれた体操のチャスラフスカがラジオで読み上げたアピールだった。
「暴力、そして暴力による弾圧は理性のある人間のすることではありません。私たちの生活のなかにおける専制政治に対して、私ははっきりと勇気を持って、一人のスポーツマンとして、また人間として反対の意を表明します」
「でも本当は怖いのです」
「スポーツ選手として発言しています。それが私の職業だからです。私たちはこれからを担う世代に彼らが自らの未来を選択し、未来を創る機会を与えてあげようではありませんか」