1990年代には「ブログ」という言葉がなく、「ホームページ(HP)」といった。私もGeocitiesなどいくつかの無料サービスサイトでHPを作った。その後、「ブログ」という言葉が普及し市民権を得てから、最初に開設したブログがBloggerだった。その前はPyraと呼ばれていたが、Googleに買収されてBloggerという名前になった。Pyraに投稿した記事は捨てて、新しく開設し「白い雲 Remembrance」と名づけた。2003年9月15日のことだった。
最初の海外駐在から20年目の年だったので、思い出話を書こうと思った。そのときから十数年前(1987年頃)にはパソコン通信というのがあって、日本語ワープロで作成した文書を電話回線経由で世界中に送信することができた。それを利用して出張の合間に書いた徒然日記を、日本の友人・知人に送っていた。その記録が、Oasysというワープロ文書に残っていた。それをまとめて小冊子にしたときの題名が「白い雲」である。
この「白い雲」をOasysからWindows Wordに変換して、HPを作ろうと試みたことがあるが、マイクロソフト社は最初インターネットの重要性に気づかず出遅れたため、HP作成ツールは使い物にならなかった。GeocitiesやAngelFire、Yahoo!などの無料HP作成ツールも使いにくく、思うようにつけれなかったのであきらめた経緯がある。
2003年にGoogleがPyraを買収し、Bloggerサービスを開始した頃から、ブログ出版ツールの技術が飛躍的に進歩した。それでは私もまた作ってみようと思った。ところが、開設したのはいいが、忙しさにかまけて「白い雲」をかくどころか、その存在さえ忘れてしまった。そして一年後、現在のタイトル「恋愛適齢期」の前身となるブログを新規に作った。
しかし、Bloggerを継続的に利用することはなくなっていった。理由は、ブログツールが雨後の筍のようにたくさん出てきて、それらがどんなものかを知りたいという好奇心で、あっちこっちに新しいブログを作っていったからだ。
ブログを書くことよりも、ブログツール、そこで使うスクリプトのほうに関心が向いてしまう。スクリプトが動くかどうかを試すために記事を書くといったことが多くなった。いや今でもそういうことがたびたび起こる。昔のソフト開発者の血が騒ぐというほかない。いまの時代にプログラマーだったらどれほど楽しいことだろうと思ってしまう。30年生まれるのが早すぎたということだ。
「白い雲」に話を戻そう。いつかは駐在時代のことを自分史のようにかきたいという気持ちはある。自分が生きた証を残したいという本能があるのかもしれない。先輩諸氏や友人のなかにも、自分史を書いている人がいる。そのうち何人かは印刷して自費出版した人もいる。そういう人を目当てに「自分史」を書くことを応援するWeb出版ビジネスもある。その流れでまずは「白い雲」を整理しようと思っている。
M&Aの波の中で消えていったブログサービスがごまんとあるが、Googleという大手が運営しているため、最初につくったブログサイトがいまも残っている。それを再利用するつもりである。
「白い雲」を含めて、このBloggerには目的別に十数件のブログを開設したが、何度か見直しをして現在は5件に絞った。一般公開しているのはこの「恋愛適齢期」だけだ。最初の5~6年は、女優のヌード写真を含む記事があったため、仕事上の立場も考えて限定公開にしていた。退職後は開き直って、一般公開にしたということだ。
継続的に書くことはない。決まったテーマもない。だれかに読んでもらおうという気もない。この数年はほとんどアクセスしていない。ほかのブログに統合することも考えるが、Bloggerは使いやすいので現状維持のまま残すことになる。