11/03/2021

Taiwan 李登輝

訪台した日本の学生との交流

2009年12月18日に、台北市内で、訪台中の日本の高校生約100人を相手に『日本と台湾の歴史と今後の関係』をテーマに講演し、次のように述べた。


「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」

「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた『日本精神』を学び、あなたたちも大切にしてほしい」

2010年3月24日、「第7回日台文化交流 青少年スカラシップ」の日本側研修団の表敬訪問を受けたとき、李は学生に対し次のように述べた。

「日本人は教育と政治の影響で否定的な価値観を持たされ、心理的な鎖国に陥っている。日本の気高い形而上学的・道徳的価値観と品格を大切にし、自らの歴史を肯定しなさい。」

また、日本の台湾統治にも触れ

「日本は植民地の形ではあったが台湾近代化に大きな貢献をした」

と述べた。中国や韓国の政治家とは全く異なる視点で日本を見ている。

「私は22歳まで日本人だった」という。重い意味を持つ言葉だが、それは歴史的事実である。日本に生まれ育ち、京大で農学を学び、戦争がはじまり、日本兵として陸軍二等兵から少尉になって終戦を迎えた。その時から台湾人になった。どんな思いだったのか余人には窺い知ることは出来ない。

李登輝は、日本統治時代に台湾人が学んで純粋培養されたのは、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった「日本精神」であり、国共内戦後に中国大陸から来た中国国民党たちは、自分たちが持ち合わせていない価値観だったので、「日本精神」を台湾人の持ち合わせている気質だと定義して、これらの言葉が広まり、台湾に浸透した「日本精神」があったからこそ、台湾は中国文化に吞み込まれずに近代社会を確立できたのであり、台湾人の親日の背景にはこうした歴史的経緯があると述べている。(ウィキペディア)



帰らざる日本人


台湾人として世界史から見ても日本の台湾統治は政策として上々だったと思います (シリーズ日本人の誇り 2)

終戦まで日本人として生きた台湾人著者からのメ ッセージ!

私が生まれたのは日本統治時代の台湾です。 平和 で安定した社会でした。教育は行き届き、町は綺麗で、 泥棒も少ない、とても暮らしやすい社会だったのです。 また、 私の父は土木技手で官庁に勤めていました ので、比較的裕福な中に育てられ、 大変幸福な子 供時代を過ごしました。

それが一九四五年、 戦争の終結で全てが変わってしまいました。 国籍が、それまでの日本人から中国人へと変わり、 日本の教育を受けた私達よりも 遥かにレベルの低い中国人が台湾を統治するようになったのです。

彼らは、過去の日本統治は全て悪であると、 全くの嘘を宣伝し始めました。 そうやって、 日本を否定し、台湾を中国の支配下に置く計画でした。 しかし、台湾に住んでいた五十万人の日本人が帰国しても、残された、六百万人の台湾人はそう易々と変えることは出来ませんでした。 二年後の 二・二八事件がその証です。 出鱈目な統治に耐えきれなくなり、台湾人が抗議に立ち上がったのです。 しかしながら、 外来政権が徹底的な虐殺と弾圧を行い、その後の白色テロの時代も合わせると、三万人とも、それ以上とも言われる自国民が殺されるという悲劇が起きたのです。 幸いにして、私達は子供の頃、 教育勅語と武士道の躾の中に育てられました。 この教育が苦しい時代にあっても、 私の一生の助けとなりました。 本当に、 過去の日本の教育は立派でした。 戦後、 日本人が帰国してしまっても台湾に残った私のような日本語族を「帰らざる日本人」と人は 呼びます。

日本の教育を受けた私達の世代は、その日本精神によって、台湾をより良い国にしていく義務があると思って頑張っています。 日本の若い人も、 私の体験に耳を傾けて、昔の日本の素晴らしさにきちんと気付いて欲しいと思います。 台湾と日本が、 共に昔のような素晴らしい国になってくれる のが私の願いです。 (はじめにより)

<著者略歴>

蔡敏三 (さいびんぞう)

日本名:吉田政弘 大正14 (1925)年、日本統治下の台湾 嘉義生まれ。 土木技師として台南州庁勤務の父:蔡天助と 母:黄氏の二男一女の長男として生まれる。 台 南市立末広公学校、 台北工業学校(土木科) 卒業。 台北工業学校在学中の16歳の時に父を亡くし卒業 後は一家の大黒柱として家族を支える。 日本株式 会社西松組勤務を経て、 第二回海軍特別志願兵で 召集され、 敗戦までの1年半の間海兵団生活を送 る。 染料工場副工場長) 勤務の後、 建築士として活躍する。敗戦後の大変な時を「日本精神」とキリスト教を心の拠り所として乗り切ってきた。 現在も日本の書物で熱心に勉強している。 辛口の人柄から日本に対して厳しい言葉もあるが、それも日本を愛するが故である。 

<目次抜粋>

第一章日本統治時代の台湾に生まれて

第二章素晴らしかった日本教育 第三章戦争の時代に生きて

第四章戦後の混乱

第五章日本よ、 再び立て

第六章台湾人として

シリーズ 「日本人の誇り」 刊行によせて


出版社からのコメント

私達が祖父母や両親からきちんと語ってもらうこ との出来なかった戦前、戦中、 そして戦争直後の ことを、日本時代を経験された台湾の「日本語 族のお一人である蔡敏三氏に語って頂きまし た。

日本統治時代を知る方は、 ますますご高齢にな り、数少なくなっています。 日本と台湾の絆をよ り深めるためにも、ぜひ沢山の方に読んで頂けた ら幸いです。

内容(「BOOK」データベースより)


戦後、 日本人が帰国してしまっても、台湾に残っ た私のような日本語族を、 「帰らざる日本人」と 人は呼びます。 今の日本人は台湾のことを知りま せん。 台湾が昔日本だったことも、 領台の50年、 偉大な明治の先人達が苦労して台湾を近代化した ことも全て忘れています。 私達のような元日本人 が台湾にいるということも、 皆知らないのです。 教育が忘れさせているのです。 私は、むしろ終戦 後になって日本時代の良かったことが身に沁みた という感じです。 そして時代が変わって、苦しい 環境になった時に、 初めて日本時代に受けた教育 が発揮出来たわけです。 それから感謝するように なりました。 戦後のあの忌まわしい二・二八事件 で、 中国人の本性をまざまざと見せつけられ、私 たちはこの戦後やってきた中国人とは違うのだ、 自分たちの精神の基盤は日本精神なのだ、と明確 に意識するようになったのです。 日本の台湾統治 当時、西欧列強が行なっていた植民地的感覚 の統治とは全く違って、国を治めるというような 腹太い政策でやっていたのです。

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