検閲官~発見されたGHQ名簿 |
『検閲官 発見された GHQ 名簿』を読む 2021 年 5 月 5 日 虎長〔原文pdfをHTMLに転写〕
2021 年 2 月に新潮社新書として刊行された山本武利一橋大・早稲田大名誉教授による 80歳の労作を読んだ。同著者による『GHQ の検閲・諜報・宣伝工作』(岩波現代選書―以下
前著と略称する)が刊行された年と同じ 2013 年に、著者は国会図書館の CCD 資料から CCD第一区(東京)の検閲官名簿を発見した。CCD とは GHQ の民間検閲局 Civil Censorship Detachment のことで 、 通信部門 (Communications) と PPB (Press, Pictorial & Broadcasting)に分かれていた。前著では、PPB が豊富な検閲事例と共に解明されたが、通信部門については組織への言及にとどまった。本書では、通信部門(郵便・電信・電話) の中、特に郵便部門の検閲官経験者の回想録と筆者による聞き取り記録という第一級史料をもとに彼らの待遇・葛藤を描いている。後者には、20 世紀メディア研究所刊 Intelligence 誌 第 20 号掲載の『CCD で郵便検閲者だった青春』という 座談会( 2018 年 5 月)も含まれている。座談会での証言者 3 名は座談会当時、92~90 歳。貴重なオラル・ヒストリーを引き出している。
アメリカ人監督者(日系二世が多い)のもとで働く日本人検閲者は高度の英語力を必要とするため、学生から 60 歳代の老人の他、後に社会で重要な地位についたような人も含め、知的エリートが破格の高給で採用された。但し、給与は賠償の一部として日本側の負担であった。
CCD 検閲は日本人の世論を知るための手段のようなものと見て、進駐軍による悪辣なマインドコントロールという江藤淳の見方には違和感を示している。著者は江藤淳による『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋 1989)を先行研究として本書でも評価しているが、前著では、江藤は検閲主務の CCD と宣伝工作主務の CIE(民間情報教育局)の違いを理解していないと指摘している。
工藤幸雄(ポーランド文学者)も「闇取引の打ち合わせ。進駐軍施政への批判の訳出だった」と言って江藤の見方を批判している。このような「感じない」派の他、経験者には「うしろめたい」派もいる。「実に不快な仕事である」と著書『GHQ 検閲官』(1995)で述べている甲斐弦(英文学者)、「ここまでやったという痛みが消えない」と告白した渡辺槇夫(朝日新聞記者)、「他人の封書を開けては読むといううしろめたい仕事」と回想している鮎川哲也(推理小説家)などである。 著者は、名簿のキノシタジュンジを木下順二(劇作家)であると確信をもって推定し、「緘黙」派と分類している。ただ、筆者も視聴した第 34 回諜報研究会(2021 年 2 月 27 日)での著者による本書関連の報告に対して、「裕福な木下順二が生活苦で検閲に加わるはずがない」との井上理恵さん(演劇研究家)の声もあった。
「検閲者の恥ずべき点としては、新憲法の禁じる通信の秘密侵害、言論弾圧への協力にあった」との著者の指摘には同感である。著者は、しかし、彼らを断罪してはいない。著者の最も糾弾しているのは、有末精三、服部卓四郎といった元軍人で、専門知識を旧敵国に最高値で売り込んだ「売国奴」である。「彼らに比べれば、検閲官の無条件肯定派も、緘黙派も罪は軽かった。ましてや罪や恥を自覚する人々は良心派であった」との著者の見方に、筆者は賛成する。なお西ドイツ、韓国では通信部門の検閲はあったが、PPB に相当する検閲はごく限られてとのこと、なぜかそうだったか知りたくなった。
筆者はインターネットで本書の読後感を検索したが、「日本国憲法は最初から 権力を縛ることも制限することもできなかった….そんな立憲主義、守る価値はない」と書いている人がいた。改憲論者らしいが、本書がこんな読み方をされることに驚いた。江藤淳の War Guilt Information Program の日本人洗脳効果に関する過大評価は、「アメリカに押し付けられた憲法」論者、「戦後民主主義により植え付けられた自虐史観」を非難する人々に材料を与えた。本書をそれに似たような読み方をする読者が少数でもいるとしたら、それは著者の意図に沿うものではないだろう。
原爆投下の謝罪もしないで 100 年前のアルメニア人虐殺でトルコを非難する現在のアメリカにも筆者は違和感を覚える。しかし、アメリカの占領政策はマイナス面とプラス面があったことも忘れてはならない。著者が本書で述べているように占領者アメリカの工作の基軸が民主主義の向上にあったため、究極的には日本人多数の共感を得たのは事実だと思う。一方、メリーランド大学に戦利品として所蔵されている検閲当時の膨大な史料が、著者が嘆くように日本に返されないでいるのも、今に続く日本の対米従属体制の一つの現れではないかと筆者は思うのである。 以上