4/26/2023

弥生時代

弥生時代の代表的な遺跡といえば吉野ヶ里遺跡なのか?旅と歴史の話題としてよく取り上げられるが、昭和人にとってはそれほど馴染みがない。義務教育で習った有名な遺跡は登呂遺跡である。ただ、それが縄文遺跡なのか弥生遺跡なのかをよく覚えていなかった。うろ覚えの知識しかないほど日本の歴史に疎かった。

退職後、ふるさと再発見の旅をして初めて日本の古代史に触れるようになった。登呂遺跡や唐古・鍵遺跡の現場に立ち古代の人々の暮らしに思いを馳せることもした。先週は初めて縄文遺跡だと知った岩宿遺跡を訪ね、こういう遺跡が残っている日本を誇りに思う気持ちを深めた。

そんな中、今日偶然目にしたのは「吉野ヶ里遺跡」の紹介動画だった。日本の古代史に並々ならぬ関心をだくYouTuber(ウクライナ女性)が作成した動画である。九州に旅する時は是非とも訪ねたい。

🎦吉野ヶ里遺跡

縄文時代との違いから見る弥生時代

明治時代の海軍中将、有坂 鉊蔵(1868-1941)が向ヶ丘弥生町で発見した土器を弥生式土器と呼び、この土器が発見される時代を弥生時代と呼ぶようになった。因みに彼は縄文土器を発見したモース博士に師事したという。

古代史の時代区分は新たな発見、研究結果により変わってきた。現在の学説では、弥生時代はやく3000年前(縄文晩期)に始まったと考えられている。終わりは古墳時代が始まった三世紀半ばである。

弥生文化は稲作文化とも呼ばれるが、稲作の起源は7000年前の長江下流域だと考えられ(最近では1万年前だとも推定)、ここから陸続きだった日本列島に伝わったといわれる。縄文時代の約6000年前に稲作が行われていた痕跡が岡山県で発見されている。