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6/14/2023

Identity&Dignity

牧師Marre「教育の第一義的な目的は健全な自尊心を育むことだが、これが育まれていないことは戦後教育の影響だということは一目瞭然。日本人はどこから来たのか、何者なのかの教育がそもそもない。アイデンティティがないというのが当たり前の教育というのは、世界のどこにもない。何のために居るのかとか、日本人は何なのかということが、歴史も含めて全部神話で片付いてしまう。これはもう、戦後70年、全力をあげた、日本の良さを破壊する教育の結果ですよね。」

Marreという人のことはよく知らないが、そういう見方もあるのだと言うことは分かる。多くの知識人が指摘するGHQが仕組んだWGIPや3S、焚書、公職追放、日教組設立などの賜物?!だと言っているのかもしれない。この説、考え方に納得できるかどうかは、どれだけ日本の歴史を知っている(理解している)かによって意見は分かれる。焚書された書物を読めば、その答えがあるのかもしれない。

ただひとつ、諸外国の人たちとの付き合いから、私が言えるのは、「日本人にはアイデンティティがないというのではなく、それを意識する必要がなかった」ということではないか?

少なくとも、海外生活経験後、私が強く意識するようになったのは、"ID"であるとよく話した。IはIdentity、DはDignityである。日本人としてのIdentity(自分は何者なのか、なぜ存在するのか)とDignity(尊厳、誇り、矜恃、自尊心)を意識させられた、意識せざるを得なくなったと言った方が正確かも知れない。外国人との交友や仕事をする中でOJTのような形で自然と学んだ。

IDの濃淡、強弱は、各人の出自(生まれ育ち、経歴、交友関係、教養など)に依存する。民族、人種によって違うというと差別だと非難されるかもしれないが、WASPとか一神教の国民とか遊牧民族系の人とかの方が、私より強いIDを持っていると思う。

仕事面でいえば、対外交渉で、押せば引く人と押せば押し返してくる人がいる。前者は日本人に多いと思う。後者はIDの濃い人、強い人である。昔のいろんなビジネス交渉を思い出しながら書いている。

押せば引くだけでは交渉にならない。議論にもならない。日本人というと誤解を招くので「私は」と限定して言うと、無用の軋轢を避けたい、嫌われたくない、といった感情が先立つことがある。この時点でIDが弱く薄まる。交渉で不利な立場になる。押されたら押し返さないといけない。押し返す気力の源泉が強いID(意識下)である。時にはbluff(はったり、虚勢、こけおどし、恫喝)も必要である。

日本人は、いや私はbluffは苦手だった。よく言えば相手に失礼だ、謙遜・謙譲・寛容の美徳を重んじる姿勢だが、交渉ごとでは、相手によっては全く通じないことを思い知る。机を挟んで対峙し、机上では和やかに机の下では足で蹴飛ばし合う、それが交渉だという教えもある。まぁそれは相手次第で王道はない。人間対人間の話し合いで対立点があるわけだからぶつかり合うのは前提で、それは互いのIDの衝突だとも言える。

Marreさんの話から論点が随分と飛んでしまった。もっとも何かを論じようというとつもりもなく、思うことを書き連ねているから、論点はなく話が飛んでいく。

教育のことからWGIP、海外経験からIDの話、そして対外折衝の話となったが、この辺でやめよう。最後にひとつ付け加えると、「和を以て貴しと為す」の意味を「争いごとを避け、同意、同調すること」だと誤解していた。そうではなく、喧々諤々と徹底的に議論し一致点を見つけてみんなが納得することが尊いということである。

しっかりとしたIDを持った人ほど感情的にならずしっかりした議論(対話)ができる。たとえ激しい口調でやり合っても、仕事(交渉)が終わったら、結論が出ていない時でも、ケロッとして談笑する……そんな清々しい体験をすると、楽しく幸せな気分になる。