MENU

6/29/2021

Anna Dmitrievna Bubnova

小野 アンナ(おの あんな)
 旧姓 Anna Dmitrievna Bubnova(アンナ・ディミトリエヴナ・ブブノワ)1890-1979

父親はロシア帝国官僚、母親は貴族出身。語学と音楽に秀でた母親の影響のもとで、ブブノワ3人姉妹はみな芸術家となり、長姉マリヤはピアニストに、次姉ワルワーラは美術家に成長する。

アンナははじめ5歳より母親の手ほどきでピアノを学ぶが、10歳よりヴァイオリンに転じ、最初ザイツに、次にヴァンツェコワに師事。さらに1904年にペテルブルク音楽院に入学し、ホヴハンネス・ナルバンジャンに師事した。1908年から1913年まで、レオポルト・アウアーに師事。この間1911年音楽院を卒業した[2]。1913年にはフリーアーチストの称号を受けた。ペトログラードで同地の日本人留学生・小野俊一(ロシア文学者・生物学者・昆虫学者・社会運動家)と出逢い、1917年5月に結婚。翌1918年革命下のロシアを離れ、東京に赴く。正教徒であったため、東京ではニコライ堂に通った。1919年長男の俊太郎を出産後、音楽の早期教育をほどこすが、1933年俊太郎が虫垂炎で少年期に夭折したため、俊一との関係もうまくいかなくなり1935年協議離婚した。その後も長らく「小野アンナ」名義で日本でヴァイオリン教師として教鞭を執り、1943年毎日音楽コンクール審査員となる。戦後は1946年武蔵野音楽大学教授に就任。後進を指導するかたわら、請われて桐朋学園子どものための音楽教室、同学園高等学校音楽科、同学園短期大学にも務めた。1959年音楽教育貢献により勲四等瑞宝章受章。1960年に、1958年に帰国した姉ワルワーラの後を追いソ連に渡り、アブハジアのスフミ音楽院にてヴァイオリン科教授に就任した。

略歴

1890(明治23)  3月14日ブブノワ家の三女としてペテルスブルグで誕生
 5歳より母にピアノの手ほどきを受ける。
1900      ヴァイオリンを学びはじめる。
 最初ザイツに、のちヴァンツェコワに師事。
1904      ペトログラード音楽院入学
 ナルヴァルジャンに師事
1911      同音楽院卒業。レオポルド・アウアーのもとで研修。
1913      フリーアーチストの称号を受ける。
1918(大正7) ペトログラード大学に留学中の小野俊一と結婚
 教職を辞め夫と来日。
1919      長男俊太郎誕生。
1933      俊太郎死亡。
1935      小野俊一と協議離婚。
1943      毎日音楽コンクール審査員となる。
1946      武蔵野音楽大学教授に就任。
 その後、子供のための音楽教室、桐朋学園高校音楽科・同短期大でも教える。
1959      音楽教育に貢献した功績により勳四等瑞宝賞受賞。
1960      ソ連アブハジア民族自治共和国スフミ市に帰国。
 スフミ音楽院教授に就任。姉のワルワラ・ブブノワと共に暮らす。
1979(昭和54) 5月8日 逝去。