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5/26/2021

ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉

写真=時事通信フォト
2019年11月25日、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」でのフランシスコ教皇の講話(意訳)があった。「世界一孤独な日本のオジサン」の著者である岡本純子氏が意訳して紹介していた。

岡本氏「メディアは核廃絶など平和メッセージの部分をこぞって取り上げていたが (中略) 特に筆者の印象に残った」スピーチだという。同氏が著書で主張する日本人の「孤独」や「心の貧困」に通じる内容だったからである。ここで書評や論評をするのは野暮なこと、教皇の言葉をじっくりと噛み締めたい。

※ただし、ネットにはいろんな人がいて「この意訳はデマだ」「原文とは異なる」などと反論している人もいる。一理あると思うのはタイトルで「ゾンビの国・日本」と決めつけた言い方は言い過ぎで反感を買う。教皇は比喩として「…ゾンビのように心の鼓動が止まってしまった人たち…」といっただけで、日本だとは言っていない。実際のスピーチに近いと思われる訳文は”カトリック協議会”サイトに掲載されたものだろう。私は直接聞いていないのでコメントはできない。岡本氏が”意訳”した文を以下に再掲する。

フランシスコ教皇のスピーチ内容

「人やコミュニティ、そして全社会が、表面上は発展していたとしても、内側では、疲弊し、本物の命や生きる力を失い、中身の空っぽな人形のようになっている。(中略)笑い方を忘れた人、遊ぶことのない人、不思議さも驚きも感じない人がいる。まるでゾンビのようで、彼らの心臓は鼓動を止めている。なぜならそれは、誰かと人生を祝い合うことができないからだ。」

「もし、あなたが誰かと祝い合うことができたなら、それは幸せであり、実りある人生となるだろう。一体、何人の人が、物質的には恵まれていても、例えようのないほどの孤独の奴隷になっているだろうか。繁栄しながらも、誰が誰だかわからないこの社会において、老いも若きも数多くの人を苦しめている孤独に私は思いをはせる。最も貧しい人に尽くしたマザー・テレサがかつて、予言的なことを言った。「孤独と誰からも愛されていないという感覚は最も残酷な形の貧困である」と。」

「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」

『自分たちに聞いてみよう。「私にとって、最悪な貧困とは何か?」「最もいい貧困とは何か?」もし、私たちが正直であるならば、わかるはずだ。最悪な貧困とは孤独であり、愛されていないという感覚であると。この精神的貧困に立ち向かうのは、私たちに求められる責務である。そして、そこに、若い人が果たすべき役割がある。私たちの選択肢、優先順位についての考え方を変えていく必要があるからだ。

それはつまり、私たちにとって最も大切なことは、何を持っているか、何を得られるか、ではなく、誰と(人生を)共有できるかということなのだということに気づくことだ。「何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」にフォーカスすべきなのだ。自分に問いなさい。「私は何のために生きるのか」ではなく、「誰のために生きるのか」「私は誰と人生を共有するのか」を。

モノも重要だが、人(との関係性)は欠かせない。人なしでは私たちは人間らしさを失い、顔を失い、名前を失う。私たちは単なる物体と化してしまう。私たちは物体ではない。人なのだ。シラ書*は言う。「信頼できる友人は堅固なシェルター(避難所)である。見つけた人は宝を見つけたようなものである」。だから「私は誰のために生きるのか」を問い続けなければならないのだ。』

私たちは『魂のセルフィー』を撮ることはできない

『自分の姿を鏡で見ていても、成長し、自分のアイデンティティや良さ、内面の美しさを発見することはできない。われわれはあらゆる種類のガジェット(道具)を発明したが、「魂のセルフィー」を撮ることはできない。なぜなら、幸せになるためには、私たちはほかの誰かに自分の写真を撮ってくれ、と頼む必要があるからだ。私たちは自分の殻から抜け出て、他人に心を向けなければならない。特に助けが必要な人に。自分の姿にばかりとらわれないことだ。鏡の中の自分を見つめていれば、鏡は壊れてしまうのだ』

正しい質問をみつけること、正しい答え方ができるか?

『賢人はこう言った。知恵を蓄えるカギは正しい答えを見つけることではない。尋ねるべき正しい質問を見つけることだ。誰もが、「どう答えるべきかをわかっているだろうか」「正しい答え方ができるだろうか」を考えるべきだ。そして、その後には、「私は正しい質問の仕方を知っているだろうか」を問わなければならない。正しい答えで、試験は受かるかもしれないが、正しい質問なしで人生の試験に受かることはできないのである。(中略)私はあなたのために祈りましょう。あなたが正しい質問をし、鏡を忘れ、相手の目をのぞき込むことができるような精神的英知を得て、成長していけるようにと。』


心の貧困

かつて「世界でいちばん貧しい大統領」がいた。メディアで何度もとりあげられ、NHKスペシャルでも放送され、映画にもなった。第40代ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカである。

彼は、現代の日本人以上に日本の伝統や精神文化をよく知っていることに驚くと同時に、彼が指摘した日本の誇るべき伝統・文化は、この数十年で忘れられ、失われようとしているとの危機感を抱いた。 

 そしていまも、日本人の心の貧困、教皇が言う「ゾンビ化」が進んでいるとすれば……。日本の将来の危うさに苦慮するのは私だけではないだろう。