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4/11/2021

戦国時代の東国武将(下書き中)

里見義堯
先月は三浦半島の各地を歩いた。歩いて旅することは、歴史を学ぶことである。学ぶために歩いているわけというではないが、史跡や城址城跡、神社仏閣を好んで訪ねるので、結果的にいろんな発見があって知らなかった歴史を知ることになる。

三浦半島については、戦国時代まで三浦一族が支配していた…、一族は頼朝挙兵に加わり、鎌倉幕府の有力御家人として重要な役割を果たした……ということしかいえなかった。

じゃあ、その役割は?重要人物は?どんな活躍をした?室町時代、戦国時代にはどうしていた?三浦一族以外の歴史上の人物は?……などと聞かれるとほとんど何も答えられない。

特定の人物名として知っていたのは三浦義村くらいだが、それもどこを本拠地にしてどんな活躍をしたのかさっぱり分からなかった。

衣笠城址を歩き案内板を見て、「ああ、ここが本拠地だったんだ!」と知る。そうすると好奇心に駆られてあれこれ調べたり、土地の人に聞いたりして断片的な知識が増えていく。

翌日、神金(かりがね)城址を探し求めて歩いているとき、千片神社跡という史跡を見つける。町の公民館の裏手にいくつかの断片が置いてあるだけだったが、古びた案内板に、「ここが三浦義村の邸宅跡」と記してあった。

何日か後に、三浦海岸を南へ歩いていると、交差点の一角の岩肌に「〜の墓」と書いた古びた案内を見つける。近づいて確かめると「三浦義村」と読める。階段を登った先に神社があり、鳥居の右手に墓所があった。

(続く)